バリバリテスト中なんで、まだ今週のハヤテの感想も書けてないんですが、先にこっちをあげておきます。
来週は、「光見守る坂道で」の第1話かな?
↓続きます
来週は、「光見守る坂道で」の第1話かな?
↓続きます
イヤ~、面白かった。
この最終話に関しては、EDへの入り方を・・・というかED丸々でもいいから変えて欲しかったですが、それ以外に関しては文句ないです。
ラストの幻想世界を、前半の10分くらいに詰め込んだので、原作と比べると分かりずらく、ゆっくり感動できないかもしれませんが、そこは映像という利点を十分利かし、汐(街の化身ver.)と幻想世界の崩れ(ホントは崩れてるわけではないんですが、この辺の言葉遣いが難しくて。)とかの躍動感で魅せてくれました。
最終話前の数話にしても、他の細かい所を言わなければ、素晴らしいでき。
特に、視線や、「出して引っ込める」的な小さな動作が一つ一つしっかりしてるので、見てて飽きない上、そういうのの積み重ねから感動につながると、その感動は何倍にもなります。
そこが、CLANNADが「あったかい」と思える、アニメならではの一番の理由だと思いますね。
では、悪かったところ。
渚が死ぬまでが、テキトーかつ楽しそう過ぎるんですよね。
渚や朋也が仲間とわいわいみたいなのを入れると、どうやっても幻想世界と食い違うんですよ。
だから、うまくBGMとかソララドとかの曲使って、渚と二人だけで必死に頑張る感と、時間の流れを出せと言いたい。
最終話前の数話は、それがちゃんとできてたのにな。
これは本当にもったいないです。
て言っても、ことみがやってきてあの話をしたことだけは、評価に値しますけどね。
内容というより、話が分かりやすくなったはず。
そして、内容の根幹の話。
「結局タイムパラドックスかよ」とか、
「ほったらかしになってる、汐が死んじゃう未来の方が不憫すぎる。」とかいう話を聞きます。
こういう感想のままCLANNADという物語に別れを告げる人は、ある意味かわいそうとも言えるんですが、こういう人がいるということは、やっぱり京アニの技力が足りなかったんでしょう。
「奇跡の安売りしすぎ」という感想に関しては、CLANNADほど奇跡が重く、論理的に説明の付く作品はないと思いますね。
内容の構造については、
・海ねこ&ムツゴロウ CLANNADレビュー
ここでも読んでもらう事にして。
ポイントは、
①渚は昔、死にかけたとき、街と同化することによって命を救われた。
②一週目、渚が汐を生む時、二人は生きられないほど衰弱していたが、渚が、汐に街との同化を引き継がせることによって、ギリギリ汐だけ生き残った。
③渚や汐が熱を出すのは、街と同化していて、街が弱まった時に生命力を吸われるため。
④幻想世界の少女は、街の化身のため、街と同化している者と強くリンクしている。
⑤一周目で汐が死んだのは、街が衰弱に耐えられなくなって、汐の生命力を全て吸い取り、街へ消化させたから。
⑥汐が、ムリヤリにでも旅に出たがったたのは、街が、自分の街以外での幸せや、その副産物である、「光の玉」を欲したから。
⑦個別ルートで、朋也が住民を幸せにすることによって、住民の住む街そのものや、同化している者も幸せになり、さらに、人が幸せになるとでてくる「光の玉」には奇跡を起こす力がある。
⑧幻想世界に閉じこもっていた少女(つまり、みんなの仲へ自分から飛び込むことのできない、街と同化している者)は、朋也が個別ルートで街の住民を幸せにすることによって、幸せになり、それを自覚することによって、現実世界に出てくる。【幻想世界と現実世界の統合】
⑨【幻想世界と現実世界の統合】すると、たまりにたまった「光の玉」が『渚と汐両方助かる』という奇跡を起こす。
くらいでしょうか。
⑧と⑨は、きっかけは同じでも、別の働きによるものということが重要ですね。
⑧の幻想世界の少女が救われた証は、風子が見つけた汐そのものです。
一つ思ったのは、原作のラストでは汐は描写されず、タイトル画面に戻ると「願いがかなう場所」に汐(街の化身ver.)がいる、というのだったのに、アニメでは普通に汐が描写されてました。
この違いに意味はあるのかなぁと考えてみましたが、特に意味を見出せません。
てか、原作の方が、幻想世界からそのまま出てきた感があって好きなんですけどね。
初見の人は、アニメではその辺が分かりにくいんじゃないかと。
というわけで、CLANNNAD AFTER STORYの暫定感想でした。
理解したうえでもう一度見ると、このアニメのよさがより分かると思います。
朋也と渚、汐の頑張りはもちろん、家族、街の住民の温かさというテーマも含んだ、この物語。
紐解いてみると、この感動は緻密な設定の上に成り立っていました。
この作品の結晶で、シンボルともいえる汐の小さな手のひらは、大きな手のひらに包まれてゆっくりしっかり育って欲しいですね。
でわでわ~
アデュー!
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この最終話に関しては、EDへの入り方を・・・というかED丸々でもいいから変えて欲しかったですが、それ以外に関しては文句ないです。
ラストの幻想世界を、前半の10分くらいに詰め込んだので、原作と比べると分かりずらく、ゆっくり感動できないかもしれませんが、そこは映像という利点を十分利かし、汐(街の化身ver.)と幻想世界の崩れ(ホントは崩れてるわけではないんですが、この辺の言葉遣いが難しくて。)とかの躍動感で魅せてくれました。
最終話前の数話にしても、他の細かい所を言わなければ、素晴らしいでき。
特に、視線や、「出して引っ込める」的な小さな動作が一つ一つしっかりしてるので、見てて飽きない上、そういうのの積み重ねから感動につながると、その感動は何倍にもなります。
そこが、CLANNADが「あったかい」と思える、アニメならではの一番の理由だと思いますね。
では、悪かったところ。
渚が死ぬまでが、テキトーかつ楽しそう過ぎるんですよね。
渚や朋也が仲間とわいわいみたいなのを入れると、どうやっても幻想世界と食い違うんですよ。
だから、うまくBGMとかソララドとかの曲使って、渚と二人だけで必死に頑張る感と、時間の流れを出せと言いたい。
最終話前の数話は、それがちゃんとできてたのにな。
これは本当にもったいないです。
て言っても、ことみがやってきてあの話をしたことだけは、評価に値しますけどね。
内容というより、話が分かりやすくなったはず。
そして、内容の根幹の話。
「結局タイムパラドックスかよ」とか、
「ほったらかしになってる、汐が死んじゃう未来の方が不憫すぎる。」とかいう話を聞きます。
こういう感想のままCLANNADという物語に別れを告げる人は、ある意味かわいそうとも言えるんですが、こういう人がいるということは、やっぱり京アニの技力が足りなかったんでしょう。
「奇跡の安売りしすぎ」という感想に関しては、CLANNADほど奇跡が重く、論理的に説明の付く作品はないと思いますね。
内容の構造については、
・海ねこ&ムツゴロウ CLANNADレビュー
ここでも読んでもらう事にして。
ポイントは、
①渚は昔、死にかけたとき、街と同化することによって命を救われた。
②一週目、渚が汐を生む時、二人は生きられないほど衰弱していたが、渚が、汐に街との同化を引き継がせることによって、ギリギリ汐だけ生き残った。
③渚や汐が熱を出すのは、街と同化していて、街が弱まった時に生命力を吸われるため。
④幻想世界の少女は、街の化身のため、街と同化している者と強くリンクしている。
⑤一周目で汐が死んだのは、街が衰弱に耐えられなくなって、汐の生命力を全て吸い取り、街へ消化させたから。
⑥汐が、ムリヤリにでも旅に出たがったたのは、街が、自分の街以外での幸せや、その副産物である、「光の玉」を欲したから。
⑦個別ルートで、朋也が住民を幸せにすることによって、住民の住む街そのものや、同化している者も幸せになり、さらに、人が幸せになるとでてくる「光の玉」には奇跡を起こす力がある。
⑧幻想世界に閉じこもっていた少女(つまり、みんなの仲へ自分から飛び込むことのできない、街と同化している者)は、朋也が個別ルートで街の住民を幸せにすることによって、幸せになり、それを自覚することによって、現実世界に出てくる。【幻想世界と現実世界の統合】
⑨【幻想世界と現実世界の統合】すると、たまりにたまった「光の玉」が『渚と汐両方助かる』という奇跡を起こす。
くらいでしょうか。
⑧と⑨は、きっかけは同じでも、別の働きによるものということが重要ですね。
⑧の幻想世界の少女が救われた証は、風子が見つけた汐そのものです。
一つ思ったのは、原作のラストでは汐は描写されず、タイトル画面に戻ると「願いがかなう場所」に汐(街の化身ver.)がいる、というのだったのに、アニメでは普通に汐が描写されてました。
この違いに意味はあるのかなぁと考えてみましたが、特に意味を見出せません。
てか、原作の方が、幻想世界からそのまま出てきた感があって好きなんですけどね。
初見の人は、アニメではその辺が分かりにくいんじゃないかと。
というわけで、CLANNNAD AFTER STORYの暫定感想でした。
理解したうえでもう一度見ると、このアニメのよさがより分かると思います。
朋也と渚、汐の頑張りはもちろん、家族、街の住民の温かさというテーマも含んだ、この物語。
紐解いてみると、この感動は緻密な設定の上に成り立っていました。
この作品の結晶で、シンボルともいえる汐の小さな手のひらは、大きな手のひらに包まれてゆっくりしっかり育って欲しいですね。
でわでわ~
アデュー!
2009/03/14(土) | アニメ感想 | トラックバック(0) | コメント(0)