・・・・・・・。
どーせ来週まで更新しないし、言わなかったらバレなかったんじゃね?
↓ハヤテ感想
『花の季節もずっと』
『その先もずっと』

『一緒に居たいと願うんだ――
そんなわけで、第265話、「木の芽風」の感想です。
この話の感想をどうするか、こうやって、書いている今でも悩んでるんですが。
今の考えのままに、けなすことにするか。
先週のテンションのまま褒めて、批判は、今度書く予定のアテネ編まとめの時にやるか。
う~ん・・・。
両方やるか!

「ハヤテをもう傷つけないと決めた」
この言葉がもう悲しいよなぁ・・・。
そんなの、10年前のことじゃないか。
二人の関係は、やっぱり10年前のものから成長していない。
アテネは、今回、傷ついてまで助けてくれたハヤテに、喜びを覚えなかったのか。
今度は、アテネが、ハヤテが傷ついたときに助けてあげる番じゃないのか。
相手が傷つかないように、自分から遠ざける気持ち。
アテネの愛は、この形態からもう発展しないんですかねぇ。
それなら、ここでスッパリ別れるのもいいかもしれない。
・・・・・・なんて思わせる。
ホント悲しいよなぁ。


お互いでお互いの心を埋め合うしかなかった10年前の二人。
10年という月日と、その間に出来たそれぞれの友達が、そんな心を埋めてしまった。
恋心は10年前のままなのに、それぞれが背負ったものが変わりすぎて。
昔の恋心を未だに引っ張りまわすには、背負ったものが重すぎて。
なんども言ったけど、生き別れの幼馴染、なんて設定、やっぱり足かせにしか成らないよなぁ。
マンガや小説では、それを乗り越えて感動させようというものがいくつもあって、もはや生き別れの幼馴染といえばそれがスタンダートになってしまったけど、この話では少し違ったというだけ。
ただ、ハヤテにはそれより、ほんの少しだけ大切なものができたというだけ。
だから・・・ここで別れるのが・・・・・・普通で・・・・妥当・・・・・・。

二つ目の言葉
伝えたかった二つの言葉の後方は、やっぱりゴメンなさい、という謝罪でした。
10年前の真実の思いを、
10年前の場所と、
10年前の姿と、
10年前の言葉という、
10年前の演出で。
この演出は上手いなー、と思いました。
相手に求めるもの、相手との位置関係、恋心まで全てが全て、文字通り10年前のものなんだから、
10年前のこれで最後にしましょう、ってことか。
あったかいようで、悲しいなぁ。

そしてここで、現在時制、初めてのキス発動。
まぁ演出が過去なんで、現在時制初めてって言っていいのかわかりませんが、まぁとにかく
『現在(いま)を見つめて』
アテネのために泣くのも、アテネとキスするのも、本当に最後なんだろうなぁ。
『歩き始める――
さて、

このコマで、

(4巻6話)
これを思い出してみたり。
ハヤテからナギへの恋心は、今はどの階層にあるんだろうなぁ。
上二つのことから0ではないけど1ではもない、ってのは分かるんですけど・・・。
4巻6話のから、今までに、成長したんだろうか・・・。
こういうの示唆してるのは、なにを意図してなんですかね。
ハヤテとナギが結ばれる最終回・・・にするのか・・・?
さて、そろそろ批判。
とりあえず目立つのが、結局、綾崎ハヤテが何も決断しなかったことですか。
全てが、他人に促された受身の行動ってわけではないんですよ。アテネ助けに走ったトコとか評価出来ますし。
ただ、このGWで、何も自分から決めることができなかった。
アテネと一緒になるよりナギを選んだのも、完全にナギが王玉壊したおかげで正しい選択肢が見えたわけですし。
二つの言葉を伝えるのは、10年前から決めてたことですし。
今週も、結局ハヤテは「優しい」で終わってしまい、自分から何かを決める、少年漫画的なカッコ良さをほとんど出せないまま終わってしまいました。
せめて、

このセリフくらいは、ハヤテが先に言って欲しかった。
まぁ、アテネが先週からお姉さん目線で、ハヤテに決断を言わせない空気感をだしてたせいなんですけどね。
ここを、ハヤテにそういう雰囲気を出させて、アテネが今週のハヤテの立場の方がよかったなーとも思うんですが、それでは、今週出たいろいろなアテネの気持ちが表現できないからだめなのか。
難しいなぁ。
でも、ここは最後なんでちゃんとして欲しかったですね。
次の悪いところ?は、これでGW編が終了するのに、裏がありますよ感がバリバリ出ちゃっていたこと。
アテネのセリフの節々や、涙を見せずにうつむいている顔に、
まだ出てない設定があることがものすごい見えるし、
ナギがやたら語る理由も全く出ず(まだ来週のエピローグが残ってるけど どーせ出ねぇ)、
ナギが色々知っているとすると、「許す許される」のおとぎ話に、そのおとぎ話の主人公であるミダスを完全スルーなのも、262、263話の過去編設定を考えると不自然だし。
王様が許されたのは、誰に?
それは神様だよ・・・・・・ダレそれ?的な不自然感もあった。(たぶん伝わってないけど)
許す方にアテネだけ、許されることにハヤテだけを当ててるのは、ハヤテ大して悪いことしてねぇのにおかしいだろとも思ったけど、それは、二人の問題だから、それはそれでありかぁ?
とにかく、ロイヤルガーデンがこのマンガにおいてどれほど重要かは知っているつもりですが、このアテネ編のような次のロイヤルガーデン編に向けて、今伏線をはることも、不自然な設定隠しを今しつづけることも、ないんじゃないかなぁ、と。
そういう風に、最後にすっきりしなかったのが、二つ目の悪いところかな。
・・・まぁ他はまとめ記事で書くとして、こんなこと言ってしまうと褒める雰囲気に持って行きにくいんですが、いいところもいっぱいあったんですよ?
今週で言うと、2つ目の言葉を言うための10年前演出や、戻って来た日常のテンションなんて完璧と言っていいぐらいで。
う~ん、また今度、畑先生の「想い」を、考えながら読んでみなきゃですね。
というわけで、第265話、「木の芽風」の感想でした。
まだ、名前を呼ぶのは、ありですよねぇ。
でわでわ~
アデュー!
2010/03/24(水) | ハヤテ・マンガ感想 | トラックバック(14) | コメント(3)